2019年5月18日より、三宅砂織個展「庭園|POTSDAM」を開催いたします。
三宅は近年、既存の写真を自らの手で陰陽反転して描き写し、再び印画紙上に現像するフォトグラム作品を制作してきました。対話的プロセスを経て生み出された作品はメディウムの曖昧な広がりと、画面のさらなる深層へといざなうような奥行きを有しています。また、膨大な量のイメージが氾濫する現代においてもあえてイメージを見るという営為に重きを置く三宅の姿勢には、人々の眼差しに時代を超えて内在する「絵画的な像」にある種の救済を見出そうという美術家としての思索が反映されています。
二年前から三宅は、戦前ドイツで開催されたベルリンオリンピックに出場したある体操選手の私的な写真コレクションをモチーフにしています。昨年開催された「20th DOMANI・明日展」(於: 国立新美術館)では、五輪出場・従軍を経験した青年期から、教育者として過ごした晩年まで氏の半生を俯瞰しようと試みました。
今回は、氏が1936年の五輪出場の際ポツダムを訪れたときのアルバムページを取り上げます。そこにはこう書き添えられていました。
― ポーツダム宣言で有名なポーツダムは伯林より数里離れた処にあり以前独乙国王が居られ当時離宮になってゐた 各地より見学者が非常に沢山来る ―
この一文からは、1936年にポツダムで撮られた写真を、1945年の「ポツダム宣言」によってその響きが一変したのちに再び目にしたという単純な事実が浮かび上がります。自国の敗戦という時代の結節点を隔てた個人と歴史の眼差しの変化と交差。このことに強い印象を受けた三宅は、ドイツ連邦共和国ブランデンブルク州ポツダム市に赴き、写真を頼りに氏の足跡をたどりながら市内各地の広大な庭園を散策しました。
本展は、フォトグラム作品『The missing shade』シリーズの新作と、フィールドワークにより制作された映像作品『Garden (Potsdam)』を中心に構成されます。これらの作品によって、ポツダムにまつわるある個人の追想を起点に個と時代精神の関係性の層から「絵画的な像」を多声的に抽出するという試みを展開していきます。
会期:2019年5月18日(土)~ 5月26日(日)会期中無休
オープニングレセプション:5月18日(土)18:00~20:00
開廊時間:11:00~19:00
会場:SPACE TGC(東京)
所在地:東京都中央区銀座7-7-4本店浜作ビル地下1階
協力:WAITINGROOM
画像と風景のあわい
近藤亮介
一見、大噴柱は、水の作り成した彫塑のように、きちんと身じまいを正して、静止しているかのようである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ馳せ昇ってゆく透明な運動の霊が見える。
三島由紀夫「雨のなかの噴水」
(『新潮』1963年8月号)
本展のタイトル「庭園|POTSDAM」は、意味過剰である。改めて言うまでもなく、モチーフとなっているポツダムは、ドイツ産業革命を代表するサンスーシ宮殿の庭園や、ポツダム宣言が発表されたツェツィーリエンホーフ宮殿を含む、歴史的に重要な土地である。だがポツダムは、極東の一個人の人生にも特別な意味をもたらした。体操の日本代表選手であったY氏は、1936年、ベルリン・オリンピック出場の際にポツダムを訪れた。世界から孤立してナショナリズムに傾く日本の期待を背負った青年は、威厳に満ちた宮殿と庭園を見て、強国への憧れと不安を覚えたことだろう。
体操は、個性を重視する近代スポーツの中で異色な存在である。体操が要求するのは規律正しい演技であり、選手は身体を文字通り「器械」として扱わなければならない――自我を滅し、他者・集団の意思に委ねられた匿名の肉体は、「従順な身体」を表象する。したがって体操は、軍隊教育やマスゲームにも見られるように、全体主義国家において枢要なスポーツと見なされてきた(1) 。また、当時の体操競技は屋外で行われていた。空調や照明が管理された体育館と異なり、巨大なスタジアムで繰り広げられる体操は、人間の身体と大地=重力との関係――より厳密に言うならば、重力の支配から逃れられない身体の宿命――を浮かび上がらせる。つまり、体操する身体は、国家権力と重力によって二重に拘束されている。
Y氏の写真アルバムには、「ポーツダム風景」と題されたページにサンスーシ宮殿の庭園で撮影された6枚の写真が収められているが、そのうち4枚に噴水が映っている。噴水は、幾何学式の庭園――絶対王政=権力の象徴――の中で、常に重力に抗いながら美を装っている。Y氏は現地でその姿に自分を重ね合わせたのだろうか。一方、戦後にY氏がアルバム写真を見返すとき、その視線はやや冷めている。彼の付したコメントは、場所と出来事とのあいだに生じた強力な意味作用によって、ポツダムの風景(写真)が上書きされたことを的確に捉えている。かつての専制君主の離宮が、今では日本の戦後を決定づけた場所として見られる。たしかにY氏もポツダムを離宮と認識していたに違いないが、1936年の彼はもっと自由に眼前の風景を眺められたはずだ。そして、このような主体的な視線を明らかにするべく、画像に纏わりついた意味を剥ぎ取るのが、三宅の仕事に他ならない。
三宅が題材に選ぶ写真は、誰が・何を・なぜ・どのように撮ったものでも構わない。彼女はそこに潜む「絵画的な像」にしか関心がないからだ。それは、被写体の過去や質料に無関心なまま、表面的な面白さを追求する態度であり、ともするとインスタグラムを想起させる。しかし実際には、画像作成プログラムを異種交配させながら、画像の昇華点を探る点で、三宅の作品は現代に溢れかえる画像と一線を画する。写真を絵画へ一旦還元するその独特な手法は、写真の客観・明示を解体するだけでなく、同時に絵画の情動・物語をも排除することで、画像の条件そのものを問うているのだ。そこにあるのは、所記を孕む以前の画像であり、だからこそ誰もが主体的に見ることを促す、一つにして無数の風景である。
つまり、展覧会名とは対照的に、三宅の作品は意味不足である。まさしくこの点において、彼女はY氏が見た(あるいは見なかった)風景を私たちに差し出している。